芸術作品を通して見えてくるもの

 

文学や音楽などの芸術作品の中にも、芸術家たちの悲哀の心理過程の表現が豊かに見いだされる。これらの作品を読み、音楽に聴き入ることを通して、われわれはそれぞれの悲哀の心理過程を芸術家たちと共有し、その助けをかりてより意味深いものとして体験し推敲してゆく。『対象喪失ー悲しむということ』(小此木啓吾)*1

 

 『その喪失を悲しむために:米津玄師「Lemon」と喪の作業』というブログ記事で上記の文章を引用しましたが、ここに書かれているように、芸術作品がもつ心への影響というのはとても大きいと感じます。

 

 ここでは芸術作品として文学や音楽があげられていますが、現代であれば映画や漫画、アニメなども含まれるでしょう。そういった作品によって、自身の感情や体験がより深められたり気持ちが励まされたりすることは、誰しもが多かれ少なかれ体験していることではないでしょうか。

 

 カウンセリングにおいても、来談された方が何らかの芸術や文化的な作品について話をすることは少なくありません。好きな小説や音楽、お気に入りの漫画やアニメ、ゲーム。絵画や古典芸能の話になることもあれば、動画や歌い手の話になることもあります。

 

 悩みの話の隙間に話される、こういった「好きな」「心に残った」「感動した」作品には、その方の内面のとても大切な部分があらわれていると感じます。例えば、その方がどんな価値観をもっているのか、何を大事にしているのか、理想としているものは何か、どういう人を求めているのかなど――。好きな作品はそういった内的な世界の反映であるからこそ、私たちは好きな作品を人に理解してもらうと嬉しく感じ、逆に分かってもらえないと悲しくなったり、時に傷ついたような気持になるのでしょう。

 

 もし、ご自分にとって大切であったり大好きな作品があるのであれば、折に触れて、それのどこが、どんな風に好きなのか、その作品に触れるとどのような気持ちになるのかを考えてみるのもよいかもしれません。そうすることで自分が何を大切にしているのかが見えてくるのではないかと思います。

 

 

*1:『対象喪失ー悲しむということ』小此木啓吾(中公新書)

 

 

 

2019年07月08日|ブログのカテゴリー:本・映画・漫画・音楽